インタビュー後編は、10月13日の定期演奏会で演奏する大曲「交響曲第6番」について紐解いていきます!
インタビュアー:細田、鈴木(広報)
ゲスト:須藤(第22回定期演奏会指揮)、山中(インスペクター兼奏者、過去定期では指揮も担当)
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交響曲第6番はどんな曲?
須藤:能天気と言うのは言い過ぎかもしれませんが、あまり深刻なところがない、ポジティブな表現が多いのがこの交響曲第6番(以下「6番」)の特色だと思っています。破壊衝動や絶望といったネガティブな表現があまりない。その点で、あまり身構えず気楽に聴いていただけると思います。
山中:能天気な明るさも多少あると思いますが、能天気なだけではないのがよいですよね。
山中:なんといってもこの曲は、「~ドヴォルザーク ブラームスに挑戦するの巻~」みたいなところがあると思います。ブラームス交響曲第2番との類似性がよく注目されていますが、技法や構成的な面をブラームスから踏襲していますね。ドヴォルザークの代表作である交響曲第8番や第9番「新世界より」(以下「新世界より」)のようなすばらしいメロディーがまずベースにありつつ、動機の展開はドイツの伝統的な技法を取り入れていますよね。書かれた時期的にみても、スラヴ舞曲第1集のピアノ連弾を出版して名声を確立したドヴォルザークが、次にドイツ音楽の最たるものである交響曲というジャンルに挑戦したのではないかと思っています。しかし、たしかに6番はドイツ音楽の踏襲という意味では動機の展開がしっかりされていますが、いわゆるドイツの交響曲その通りの堅実な構成かというと、必ずしもそうではない気がしています。
細田:ブラームスをリスペクトしつつ、ちょっとずつドヴォルザークのオリジナリティーが滲み出ていますかね。
山中:そうですね。いい意味でドヴォルザークの色が出ているとは思いますし、それがこの曲の味だと思っています。ただ動機の展開を中心に構成して曲を盛り上げていくというよりは、その動機の展開とドヴォルザークのメロディーメーカーとしての才能が、非常に良く調和しています。具体的には、6番を聴いている途中でいいメロディーに出会ったときに、よくよく聴いてみたら前に出てきた動機の展開だった、といったような感じです。ドヴォルザークの固有の色とドイツ音楽が融合した形を楽しめる作品です。
山中:実は私はこの6番を、マグオケの定期の候補曲として何年か提案してきていました。というのも、マグオケはブラームスやベートーヴェン、モーツァルトなど、ドイツ中心の交響曲・協奏曲を数多く取り上げてきています。ドイツ以外のロマン派、フランス、近代の作曲家などのジャンルは、主にプログラムの前曲・中曲で演奏することが多かったのですが、その辺りのジャンルの曲とマグオケは、なんとなく距離感がある気がしていました。今回、マグオケが得意とするドイツ音楽と、まだまだ距離感のあるジャンルの曲の間を取るような曲である6番をプログラムのメインとして取り組むことで、マグオケとして新しい世界が見えてくるのではないかなと思っています。ボヘミアの情感たっぷりのメロディーの美しさをどう表現するかであったり、民族舞曲、ダンスの要素をどう弾くかであったり。あと、明るさの表現ですね。いわゆるブラームスやベートーヴェンを演奏するのとは違った音色を追求できると思い、個人的に演奏者として挑戦したいところです。
須藤:ドヴォルザーク自体、マグオケでしばらく取り上げていなかったですね。
山中:第13回定期演奏会で「新世界より」を演奏して以来ですね。
須藤:久しぶりといったところですが、マグオケでは今回で、ドヴォルザークの交響曲のうち、6、7、8、9番を演奏したことになりますね。
細田:ドヴォルザークの創作史における6番は、ドイツ音楽を明確に意識し始めた端緒となる曲になるのでしょうか。
山中:6番は、ドヴォルザークの交響曲の中では一番最初に商業出版されていますね。5番以前はまだ大きくは売れていなかった若いころの作品です。
須藤:ちなみに、交響曲第1番はもっと後に出版されましたが(※ドヴォルザーク没後に出版)、書いていたのは6番執筆時よりもさらに若いころです。元々作曲のコンペティション用に書いていたようですよ。若いころに書かれた交響曲第1~4番は、ブラームスではなくどちらかというとワーグナー寄りの作風になっています。これらの曲ではトリスタン和音(※ワーグナー作曲の楽劇「トリスタンとイゾルデ」の冒頭に登場する浮遊感のある響きの和音)をそのまま多用しているんですよね。6番になってくると、ワーグナーの雰囲気はほとんど感じなくなって、一変ブラームスの影響が強く出てきますね。
細田:ドヴォルザークはブラームスと仲が良かったと言われていますよね。
須藤:ブラームスはドヴォルザークの才能を見出した人です。ブラームス自身もシューマンに見出されたことによって売れた過去があります。自分も同じようなことをしようとしたのかはわからないですが、先輩面してせっせと助言していたようですね。そういえば最近では、ブラームスが「新世界より」の譜面を出版前に校訂したことで、ドヴォルザークが当初書いた音やリズムが勝手に書き変わっている箇所があることがわかってきているらしいですよ(笑)。
細田:ドヴォルザークも知らぬ間に、ですか(笑)。
山中:とにかくドヴォルザーク自身は、ブラームスを少なからず意識して6番を書いていますよね。第4楽章に至っては、ブラームス交響曲第2番の同楽章にそっくりです。
細田:本当に、冒頭合わせるのが難しい点も含めてよく似ていますね(笑)。山中さんが最初に言っていたように、この曲はブラームスに対する挑戦だったのでしょうか。
山中:ブラームス自体への挑戦というよりは、マーケット、大衆への挑戦ですかね。前回ドヴォルザークの人柄の話題でもありましたが、良くも悪くもあんまりひねくれていないので、その感じ(=ブラームス交響曲第2番)が大衆に受けるのだというのを知った上で、ブラームスの成功例に習って自分も交響曲を書いてみた、だと思っています。ブラームスをオマージュした上で、ちゃんとドヴォルザーク自身のエッセンスも足しました、といったところでしょうか。
須藤:単なるブラームスのコピーではないんだぞってね。
第1楽章:アレグロ・ノン・タント
須藤:第1楽章が持つ朗らかさは、今はもうないけれど過去にはあった何かを思い出す、とても綺麗な物を遠くから見つめる、といった、全体的に一歩引いた面があると思います。没入感はなく、客観視している感じですよね。
細田:前回インタビュー(※中編)でドヴォルザークが描くチェコについて語られていたような、昔あった栄華を懐かしむような、憂いをおびた朗らかさ、でしょうか。
須藤:そうかもしれませんね。そこに卑屈さはなく、憂いを帯びている感じですね。そして、神秘的で美しいものをどこか遠くから見ているような気持ちになります。例えば、展開部に入ったところは、トロンボーンが和音を遠くで鳴らしている以外は何もないおだやかな世界が広がります。
細田:凪いだ空間が広がりますよね。
須藤:そこではときどき光の当たり方がわずかに変化するけれども、穏やかで暖かい。それを遠くで見つめている自分、のような感じで、不思議な気持ちになる。そういった箇所は、楽譜に書いてある音は単純なのですが、表現としては難しいところがあります。そういった漠とした表現にこだわっていきたいと思いながら、指揮を振っています。
山中:第一主題に入っている4度の跳躍の動機、その後に続く付点音型、下降音型といった要素が曲中展開されていきますが、非常に優しく展開されていっていると感じています。動機の組み立て方が繊細で、無理して積み上げているような部分がありません。同じ動機が使われつつ、少しずつ変化する色合いをうまく表現していきたいです。
須藤:動機の組み立て方の話をすると、ベートーヴェンは、交響曲第5番「運命」(※第1楽章に登場する「ソソソミー」の動機で有名)の例で顕著なように、レゴやパズルみたいに建造物的に組み立てる傾向がありますよね。一方ドヴォルザークの動機の組み立ては、より有機的な気がしますね。植物が伸びていくようなイメージ。
山中:ドヴォルザークは、絵を良く眺めてみたら、同じ模様があるみたいな感じ。一方ベートーヴェンなんかはわかりやすく同じブロックを積み上げていく形で作っていっていますよね。
須藤:まずは第1主題、ここから第2主題と明確に区別するわけではなく、第1主題が少しずつ形を変えていく中で、いつの間にか第2主題の形に変わっているような展開の仕方に、ドヴォルザークの巧妙さを感じます。
第2楽章:アダージョ
山中:この楽章こそ昔を懐かしむ雰囲気を感じます。第1楽章のニ長調に対して、遠隔調にあたる変ロ長調に飛んでいることもあり、第1楽章とはまた違う世界に来ていると思います。
須藤:第2楽章からは色味がまた一段と淡いと感じています。第3楽章になると一気に濃くなるので、その対比も効きますよね。この第2楽章では四分音符がテヌート(※音符の長さを十分に保って演奏する指示の音楽記号)で並んでいても、カチッとした音を出すのではなく、柔らかく漂うような、もやのかかった雰囲気を保つ必要があります。楽器の使い方でみても、クラリネット、ホルン、フルートなど柔らかく包み込むような音色を持つ楽器のソロが多いです。
須藤:唯一、中間部の短調の箇所は深刻な響きを持ちますが、ここからは冒頭の優しい世界から迷宮に迷い込んでしまったような展開をイメージしています。その先に、どこに進んだらいいかわからない、調性も曖昧なゾーンがしばらく続きます。迷宮からやっと抜け出した再現部で、冒頭のどこか懐かしさを感じる主題をフルートソロが吹き上げると、迷宮から抜け出してほっとした気持ちになります。
山中:迷宮から戻ってきた世界で待っている、第2楽章の冒頭の主題自体が元々第1楽章に由来する要素を多く含んでいるのでさらに安心感を誘うと思っています。具体的には、主題の付点のリズムを思わせるシンコペーションや、下降音型(※第1楽章の第1主題の下降音型の変形と解釈できる)といったところですね。そういった箇所を見ていると、きちんと構成が考えられているんだなと、(ドヴォルザークに)感心させられます。
細田:再現部で単に第2楽章の冒頭に戻っているというだけではなく、第1楽章の流れを汲んでいるところに、ドヴォルザークの秀でた構成力が伺えますね。
第3楽章:スケルツォ(フリアント) プレスト
細田:この楽章から毛色が一気に変わりますね。激しい舞曲、フリアント(※チェコ民族舞曲の一種。変則的なリズムと力強く推進力のあるテンポが特徴)になります。
須藤:この楽章はもうね、マグオケ大得意(笑)。
山中:コンサートマスターが一番楽しそうに弾いていますよね。
鈴木:必ずしも弦楽器全員が好きなわけではないんですよね。あえてクラッシュさせたような和音が鳴るので、音を重ねにくいところがあります。
須藤:確かに、途中にすごい不協和音がありますよね。
鈴木:歌心溢れる前楽章までの雰囲気と比較して、第3楽章での急な変化に個人的にはとまどいを覚えます。
須藤:おっしゃる通り、ここからは歌ではなく身体運動としての踊りを曲にしています。曲想だけでなく、オーケストラ自体の激しい動きも視覚的に楽しんでもらえると思います。調性はニ短調で必ずしも明るくはないですけれども、深刻な感じではないです。スカッとする気持ちのいい演奏ができたらいいなと思います。
細田:この曲で使われているフリアントというチェコの踊りは、どんなときに踊られていたと思いますか?
須藤:フリアントは、メヌエットみたいないわゆる宮廷の踊りとは違う。田舎の人の田舎の人による田舎の人のための踊りでしょう。お祭りですとか、飲み会でも踊っていたのかもしれませんね。
第4楽章:アレグロ・コン・スピーリト
細田:ブラームス交響曲第2番の第4楽章と類似していることで知られる楽章ですね。
須藤:全楽章で比較しても、しっかり動機を展開してやるぞという作為を第4楽章で最も感じます。一つの材料を、何度も何度も、調を変えたり、ひっくり返したりして繰り返していく構成。演奏していてわかりやすいかはさておき、スコア上は展開がわかりやすくなっています。一つ一つの要素をうまく物語に落とし込んでいかないと、何をやっているのかわからなくなりますね。ただ単にドヴォルザークの「実験」に付き合っているだけみたいになる可能性があります(※インタビュー前編の、6番ではドヴォルザークが色々な技法を実験的に取り入れているという話題を参照)。楽譜に書いてあることをそのまま弾くだけではなく、その「実験」の真の狙いみたいなところをしっかりわかって音楽を作っていかないといけないのは、難しくもやりがいがあると感じています。
交響曲第6番で表現上工夫したいところ
須藤:音作りにこだわっていきたいです。どんな方向性があるのか、どんな音が求められているのか。このフォルテで求められている音色は柔らかめか固めか。楽譜を見ながら想像力を働かせて、演奏しましょう。フォルテだからこう、ピアノだからこう、と一辺倒にならずに、フォルテにも200種類ありますのでね。
山中・細田・鈴木:(笑)
須藤:また、自分が演奏しているパート譜の解像度を上げるだけでなく、合奏のときによく耳を開いて、他のパートの音に反応していくのも大事ですね。そういうふうに作っていかないと、演奏者にとってはただ漠然と難しい譜面のように感じてしまうかもしれません。
山中:演奏者としては、どんな音を鳴らしたいかをイメージとして持っておきたいですね。昨年度の定期演奏会と同じホール(※大田区民ホール・アプリコ)の響きの中で演奏できるのは、アドバンテージだと思っています。練習会場で合奏する中でも、本番で演奏する広いホール空間で鳴る音をイメージしながら練習できると、とても楽しいのではないでしょうか。6番からは、そういった音を追求するやり甲斐が、練習すればするほどスルメ的に出てくると思っています。ベートーヴェンやブラームスに要求されるものとはまた違った音色の引き出しを、得られるような気がします。
細田:本番までの1ヶ月、音色をさらに磨いて、10月13日(月祝)に大田区民ホール・アプリコ@蒲田にてお届けできればと思います。